今回は、ヒルティ著「幸福論」から得られる学びを3つ紹介します。
- 本記事の対象読者
- 日々の仕事で疲れてしまっている人
- 幸福とは何かについて、最近考えている人
学び1:休みは積極的に計画する。
ヒルティ曰く、休息は心身の適度な秩序ある行動によって得られると説いています。肉体的にも精神的にも怠惰な生活をすることは休息ではないのです。
例えば週末の使い方。5日間平日仕事をしたから、週末は何もせずに家でごろごろしようと考える人はかなり多いと思います。私もよくそのように生活していました。しかし、ヒルティ曰く、何も考えずにごろごろしているのは休息ではないと述べています。
私の解釈では、「朝の1時間は、家でゴロゴロしてTVを気ままに見よう」とあらかじめ計画を立ててゴロゴロするのはヒルティの考える休息に該当すると思います。一方で、「あ、TVをゴロゴロ見ていたらもうこんな時間!」という風に計画性のない行動は休息に当てはまりません。
自分でも今振り買ってみると、何も考えずに過ごした週末よりも、計画をたてて過ごした週末の方が記憶に残り、楽しい思い出があると感じるようになります。普通に過ごすと、何も記憶に残らない週末になります。そうすると、平日と合わせて1週間で見ると結局仕事のことしか記憶に残らない。そうすると、自分の人生は常に仕事をしている人生になる。一方で、週末も充実していると、自分は仕事も仕事以外のことも充実させようと行動している感覚になり、より生活の満足度が上がると思います。
学び2:無駄に卑屈にならない。
高貴の人と話をするときは、無駄に卑屈になる必要はありません。
この本では、皇族などを高貴な人と想定しているようです。現代の生活でも、皇族と話をする機会はあまりないかと思いますが、皇族に限定するのではなく、例えば著名人や有名人に置き換えても大丈夫だと思います。彼らに接するときは無駄に卑屈になる必要はありません。
もちろん彼ら自身の努力もありますが、生まれ育った環境等、彼らがコントロールできない要因でそれなりの地位にいると考えた場合、別に我々も彼らと同じ環境で生まれ育ったら同じ地位にいると考えてしまえば、別に有名人や著名人だからといって何か特別なものがあるとは思えません。そこは横柄に考えてしまって大丈夫だと思います。
そう考えた場合、無駄に卑屈に考える必要はなくて、いつも通り周りの人と接する時の態度で応じれば問題ありません。
学び3:悪い習慣を捨てるのではなく良い習慣を養う。
習慣の大切さに関して、巷ではさまざまな本が出版されています。ヒルティは、悪い習慣を捨てることを頑張るよりも、良い習慣を増やすことに力を注いだ方が良いことを説いています。なぜなら、防御的な行動よりも、攻撃的な行動の方が、精神的に楽であるからです。
ネガティブなことに向き合うよりも、ポジティブなことを考えた方が、気分は晴々しくなりますよね。例えば、アラームが鳴っても必ず二度寝をするという習慣があったとします。そのとき、二度寝をやめるという風に考えるよりも、朝時間通りに起きて、30分読書をするようにすると肯定的な習慣をするように考えれば、何かいいことを始めようとしていると思えて、気持ちが楽になります。
まとめ
今回は、ヒルティ氏の「幸福論」についてまとめました。
- 休みは積極的に計画する。
- 無駄に卑屈にならない。
- 悪い習慣を捨てるのではなく良い習慣を養う。
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